ファッション業界を牽引した『VirgilAbloh』を紐解く

offwhite virgilablohFashion〜ファッション〜

現地時間11月28日に亡くなりファッション業界に激震が走った事が記憶に新しい方もいるでしょう。
今日はそんなVirgil Ablohについて書きます。

Virgil Ablohについて

名前 Virgil Abloh (ヴァージル アブロー)

出身 アメリカ

生年月日 1980/9/30

Virgil Abloh生い立ち

Virgil Abloh(ヴァージル・アブロー)1981年にシカゴ郊外のイリノイ州ロックフォードで生まれます。

塗料会社を経営する父と洋服作りが趣味の母の元で育ちました。

幼いころヴァージルは母親のハンドメイドの服ばかり着ていたとインタビューで話しています。

10代の頃ヴァージルは、マイケルジョーダンやガンズアンドローゼス、スケートボート等の所謂、90年代ユースカルチャーに夢中だったそうです。

「10代の頃に夢中になったものが今の自分を形成している」とインタビューでも答えていました。

母親の影響もあり、ハイティーン時代からファッションに強い関心を持っていたヴァージル・アブローでしたが、彼が選んだのは建築家としての将来でした。
つまりヴァージルは服飾に関する教育は全く受けて無いのです。

ヴァージル・アブローはウィスコンシン大学マディソン校で土木工学を学び、イリノイ工科大学に進学、ミース・ファン・デル・ローエによって設立されたカリキュラムで、建築学修士号を取得します。

ファッション業界でのキャリアメスタート

会社勤めをしながらDJとしても活動を始めた、ヴァージルの元に人気ヒップホップアーティストであり世界的インフルエンサーの「カニエ・ウェスト」のクリエイティブディレクターの話が舞い込みます。

2002年ごろからカニエ・ウェストのクリエイティブディレクターとして、ファッション界でのキャリアをスタート、ヴァージル自身もファッションアイコンとして注目を集めました。

カニエウエスト

PYREX VISONをスタート

2012年にオフホワイトの前身とも称される、PYREX VISION(パイレックスヴィジョン)をスタート。

パイレックスヴィジョンはアパレルブランドではなく、あくまでアートプロジェクトでした。

YouTubeを使ったイメージヴィジュアルで使用されていた、パイレックスヴィジョンのワードローブに興味持った人物が、パリの老舗セレクトショップ、コレットのバイヤーである、サラ・アンデルマン。

サラ・アンデルマンの熱烈なラブコールを受け、パイレックスヴィジョンはファッションブランドとして歩み始めます。

老舗セレクトショップ、コレットで取り扱いが開始したことで、パイレックスヴィジョンはヤングファッショニスタを中心に爆発的な人気に。

カニエの右腕から、パイレックスヴィジョンのデザイナーへとヴァージルアブローの肩書が変わります。

インスタグラム

OFF – WHITEc/oスタート

2013年にはオフホワイトをローンチ。

オフホワイトは、パイレックスヴィジョンのデザイナーが立ち上げた新ブランドとして既に高い注目を集めていました。

2014年春夏にパリコレデビューを飾ると人気は爆発。

コレットや、マックスフィールドバーニーズニューヨーク等のハイエンドなショップ限定で展開された事も関係し、入手困難なブランドとして熱狂的なファンを生み出します。

斜線やレタードを多用したキャッチーなグラフィックデザインがファッションセレブの間で大ヒットを記録し、オフホワイトはヤングファッショニスタの憧れブランドとして揺るぎない地位を獲得します。

オンラインサイト

LuisVuitton Men’s アーティスティックディレクターへ

2018年キムジョーンズに代わり、ルイ・ヴィトンのメンズラインのアーティスティックディレクターに就任したヴァージルアブロー。

ルイ・ヴィトン初の黒人デザイナーとしても注目を集めました。

最後に

ヴァージルの輝かしい人生を紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。
もっと知りたいと思った方は過去のコレクションをチェックしましょう。