今回は先日Cartier(カルティエ)とのコラボスコレクションCartier Trinity For Chitose Abe Of sacai を発表し、世界的に注目されているsacai(サカイ)のデザイナーである阿部千登勢(アベチトセ)について紹介させて頂きます。
阿部千登勢について
名前 阿部 千登勢(アベ・チトセ)
生年月日 1965年11月9日
出身地 岐阜県中津川市
生い立ちについて
研究者の父と仕立て屋の母の元に生まれます。
今は銀行員となった姉というごく一般的な家庭でした。
器用な母はオリジナルデザインの服を作るなど日常的にミシンやデザイン、ファッションというものに囲まれて育った事が今のSacai(サカイ)につながった事は間違いないでしょう。
阿部千登勢がデザイナーを志したのは小学五年生の時で、 テレビコマーシャルで出演していた 三宅一生・Issey Miyakeを見たのがきっかけです。その日から、現在までデザイナーという夢を変わらず持ち続けてきました。 小学生のときは「ドゥファミリィ」 、 中学では東京・原宿の「ミルク」がお気に入りと幼いころから人と似たファッションをするのが嫌だったそうです。
小学生のときにベルボトムを当たり前に他の子と同じように履きたくないとスリムなデザインにお母さんにリペアしてもらうなどすでにデザイナーの片鱗が見え始め高校時代にはコム デ ギャルソンに古着を自分でMIXさせるなど既にこのころにはただファッションを楽しむというよりも創ることが必然といえるぐらいに。そして地元では奇妙な服装をしていることで知られていたそうです。
名古屋ファッション専門学校服飾科入学
イッセイミヤケのテレビコマーシャルを見てデザイナーを夢見た小学5年生からずっと東京の文化服装学院への進学を夢見た彼女ですが。遠く離れた東京への進学を両親は反対しました。それもあって片道2~3時間で通学できる名古屋ファッション専門学校への進学します。
1987年ワールド入社
名古屋ファッション専門学校を卒業後、ワールドへ入社面接を受けるため自身でデザインした レースのフリルがのぞくジャージ素材の黒のジャンプスーツに白い靴という当時リクルートスーツ着用が今以上に当たり前の時代にトンでもない奇抜なスタイルで面接にのぞむという当時から自身のスタイルと信念ともいえる自分のポリシーがあったのでしょう。それからワールドに無事入社し「スチェッソ( SITSESO )」というブランドのデザインを担当します。ワールドには約1年在籍しました。ですが、幼いころから憧れていたコム デ ギャルソンのオフィスが職場のすぐそばにあり実際にそこのオフィス近くでカリスマのような存在だと羨望のまなざしで見ていた川久保玲を見かけたりするうちにコムデギャルソンで働きたいという想いを抑えきれずに沸々とした感情を持つようになります。
そんなあるとき、コムデギャルソンで”カットソーのパターンカッター ”を募集していることを人づてに聞きすぐにワールドを退職し応募することになるのです。
コムデギャルソンへ入社
当時の風潮として、デザイナーブランドで働くよりも大企業に勤めることのほうが正しいと考えられていましたが、彼女はそれに納得がいってませんでした。しかし、たまたま職場の近くにComme Des Garcons(コムデギャルソン)の事務所があり、 そこから出てくる白い襟付きシャツや黒いズボン、ボブのヘアスタイルのスタッフが印象的でした。
当時のコムデギャルソンはパリコレクションで黒の衝撃としてその名を世界中に知らしめ、阿部千登勢にとっても憧れのブランドでした。そして、約1年後に仕事を辞めコムデギャルソンに勤めることになりました。ここでの仕事は、雑誌のような何か別のものを真似することを求めるのではなく、オリジナルのアイディアを常に求められ、あらゆる問題をクリエイティブに解決する素養を身に着けることが必要でした。元々器用で、規律に厳格な性格だったので、またとない学習の場でした。そして、すぐにその才能を開花させ信頼を得ていきます。その後、トリコ・コムデギャルソンでニット専門のパタンナーとして2年経験を積んだのち、ジュンヤワタナベのもとで働くこととなります。
コムデギャルソン退社
1997年阿部千登勢が子供を身ごもります。
コムデギャルソンでの働き方がハードワークというのもあり退社を決意しました。
その後約一年ほど子育てに専念しました。
sacai立ち上げ
1999年sacaiを立ち上げました。
当時既製服としてある洋服で自身が着たいと思う物が少ないと嘆きました。
シンプルかつ機能的で手早く着れる、かつ興味深いデザインを考案し始めますそこで生まれたのが今もsacaiのクリエイションに色濃く残る洋服と洋服のドッキングが生まれました。
初まりは5点のニットからスタートしました。
自宅で行う個人まりした展示会というのもあり、集客に苦労しましたが来館した人物に驚きを与えました。どんどんsacaiの魅力が広まり、最終的には会場には入りきらず行列が出来るほどの反響を呼びました。
パリコレクションまでの道のり
阿部千登勢は川久保玲に自身が作成した洋服を見せる決意をしました。
結果は、何も言うこと無く頷くだけでしたが、ディエチコルソコムデギャルソンに阿部千登勢がデザインしたニットが並びました。
認められたということなのです。
その後パリの展示会で評価を受け、ブランドとしての事業拡大を視野に入れ始めた頃に「日常の上に成り立つデザイン」をコンセプトとした、エレガントな大人のためのライン「sacai luck」を始めます。 sacaiに対するファッション業界で反響を呼び、見る人を驚かせました。それまで日本の代表的なブランドとして挙げられていたコムデギャルソン・ヨウジヤマモト・イッセイミヤケとは違い、象徴的または政治的なメッセージは持っていません。どのアイテムを見ても、sacaiの服はどこかたクラシックで機能性が必要とされる現代にフィットしたデザインとなっています。 その価値観がどこか日本的で、今までに無い価値観であるため、海外から受ける評価は高いです。
メンズラインスタート
2009年に事業拡大をし、メンズラインをスタートさせました。
種類の違う衣服のパ―ツを合わせ、立体的な作りを特徴とするデザインが確立され、sacaiらしさが構築されました。
レディースアイテムとメンズラインは互いを刺激しあうように革新的なデザインを次々と生み出していきましたが、緻密でジグゾーパズルのような組み合わせ、それらをスムーズに組み合わせる高度な技術は一貫され評価されました。
sacaiのコラボ遍歴
その後、sacaiは様々なブランドとコラボしていきます。
2013年パラブーツ、 2015年NIKE、2016年エンダースキーマ、 2017年ラコステ、ザノースフェイス,アンダーカバー、2018年ローレンス・ワイナー 、 ニューヨークタイムズ紙のキャンペーン「Truth」 、ペンドルトン、2019年 NIKE 、 A.P.C、プチバトー、フラグメントデザイン,Beats など、様々な分野のブランドとコラボしている。エンダースキーマであれば、革製品のシューズ、ザノースフェイスであればボンバージャケットなどコラボ相手の製品技術を最大限活かすのもsacaiのコラボの特徴です。
最後に
今回はsacaiのデザイナーである、阿部千登勢を紹介させて頂きましたがいかがでしょうか。
sacaiのアイテムが気になった方は是非一度オンラインをチェックしてみましょう。