CHROME HEARTSの歴史を知る!! クロムハーツ創立者3人の生い立ち〜前編〜

CHROME HEARTS クロムハーツ

世界中に熱狂的ファンを持つシルバーアクセサリーブランド
クロムハーツ(Chrome Hearts)
シルバーアクセサリーの代表ブランドともいえるクロムハーツですがそもそもクロムハーツはどういったブランドなのでしょうか?

karllagerfeld chromeherts カールラガーフェルド クロムハーツ

モード界の皇帝”カールラガーフェルド”
メンズで付けていいアクセサリーはクロムハーツくらい
と言うほどのファンです。

クロムハーツが持つ魅力は時代が変わってもなお海外セレブの心を掴み続けています。
今では庶民が買える金額では無くなっていますからね。笑
そんなクロムハーツの歴史を少し見ていきましょう!!

 

クロムハーツについて

ブランド クロムハーツ”Chrome Hearts”
創業者  リチャードスターク ジョンバウマン レナードカムフォート
本拠地  アメリカ合衆国
受賞歴  1992年CFDA アクセサリーデザイナーオブイヤー賞
公式HP    https://www.chromehearts.com/

リチャードスターク”Richard Stark”とは


クロムハーツ創設社、クロムハーツCEO兼デザイナー
名前   リチャード・エリック・スターク(Richard Erick Stark)
生年月日 1960年5月19日
出身   アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ
家族   妻:ローリー・リン・スターク
     長女:ジェシー・ジョー・スターク
     次女:フランキー・ベル・スターク
     三女:クリスチャン・スターク

リチャードスタークといえば”黒Teexレザーパンツ
オールシーズン履きこなすタイトなレザーパンツはまるでパジャマのようです。
彼のスタイルのアイコンとなっています。
彼のスタイルに惚れ込んでレザーパンツを購入した方は少なくないと思います。
以前のインタビューでは

毎日履いているよ。家に一人でいたら履いたまま寝てしまう。

もしこの仕事に追われることがあったらその後の人生のためにレザーパンツ20本作ってからやめるよ。


左:ヴァージル 右:スターク
今でも黒の印象が強くパンクを感じさせます。

1960年 リチャードスターク“Richard Erick Stark”誕生

1960年5月19日
本名「リチャード・エリック・スターク”Richard Erick Stark”」はアメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカという街に生まれました。

1950年代、電機メーカーの大手である「ジェネラルエレクトリック」社が、ラジオの生産拠点を置いたことで「世界のラジオの首都」と呼ばれるまでの繁栄を見せたユーティカの街ですが1960年代に入り、ジェネラルエレクトリック社がその拠点を中東に移しました。

そのことでユーティカの産業は衰退の一途を辿ることになり、”神に忘れられた街”とまで言われるようになります。

17歳までの日々

彼は実家の周囲が墓地と森に囲まれていたそうです。
友人と遊ぶときにはいつも墓地を横切って近道をしたり、ずっと墓地で遊んだりしていたと語っており、幼少期から古びた農家や墓地や教会が好きだったそうです。
リチャード自身、
“自分はクリスチャンではない”と明言していますがクロムハーツのアイテムにはさまざまな十字架(クロス)モチーフが多いのには幼少期の環境が影響し彼自身もインスパイアしているのかもしれません

 

1978年 カルフォルニアに移住

リチャードは高校を卒業した後、ニューヨークの田舎へと移り住みヒッピー的な生活を送ります。
1978年にカルフォルニア州に移り、幼少期から器用でモノ作りの才覚があったリチャードは塗装業に従事する傍ら、建築関係の学校へ通いはじめました。

その後、木工職人に弟子入りをしたリチャードは家具の製造や建築など、木材を扱う仕事をしていました。
時には一軒の家の中にあるすべての家具を作ることもあったほどで今でもクロムハーツの作品で木を使うものや家具(ファニチャー)については自ら手掛けるほどです。

 

創始者三人の出会い

その後、木工職人の父親が営む革の輸入会社で働くようになり、ハーレーダビッドソン”Harley Davidson”のファンだったリチャードはハーレーダビッドソンで営業に回っていました。
その時に自分の納得のいくバイクウェアを自分で作り始めたことがクロムハーツ創業のきっかけでもあります。

リチャードがハーレーダビッドソンで全米中をセールスをして回っていました。
その時に同業者のジョン・バウマン”John Bowman”と知り合って意気投合し、共同で事業を始めるようになります。
二人はそのビジネスの傍らで、既存のメーカーのバイク用ファッションにはどうしても満足できず、自分たちが身に着けたいと思う物を自分たちで作りはじめます。
その延長線上で、身近な友人たちの為にも作り始める様になりました。
やがて、彫金職人であったレナード・カムフォート”Leonard Kamhout”に出会い、彼を巻き込んで本格的にバイク用ファッションをスタートさせました。

ジョンバウマン“John Bowman”とは

もともとレザー製品のセールスマンでありクラフトマンだったジョンバウマン“John Bowman”はクロムハーツの創設者のひとりのリチャードスタークがレザー製品のセールスをするのに全米を回っているときに出会います。
リチャードスターク、ジョンバウマンともにハーレーダビッドソンに乗っていたことから二人は意気投合し語りあう中で自分たちの理想とするレザーウェアがないから作ろうという考えに至りました。
ジョンバウマンはかなりレザーの生地にもこだわりがあるようで、クロムハーツのレザー製品が世界中のレザーフリークやクロムフリークをはじめとするバイカーやパンクロッカーにまで愛されているのはジョンバウマンのレザーに対するこだわりが大きいようです。

レナード・カムフォート”Leonard Kamhout“とは

レナードは、クロムハーツ立ち上げ当初の初期メンバーで彫金とデザイナーを担当していました。
自分の世界観を実現するために1994年にクロムハーツを脱退。
約2年間の沈黙後1996年にデヴォン・ウィラーをパートナーとして迎えて共に
ロンワンズ”LONE ONES”の前身になるレナードカムホート”Leonard Kamhout”を設立しました。

当時の他ブランドはのモチーフで多く見られたものとは一線を画していました。
オリジナリティに溢れた自然界をモチーフにした作品作りの彼の特異な才能に加え一切の妥協を許さないハイクオリティでシルバー界の頂点と言える天才彫金師の一人です。
2016年12月30日享年70歳でこの世を去りました。

 

1988年 クロムハーツ“Chrome Hearts”誕生

1988年に現在の妻であるローリー・リン・スターク”Laurie Lynn Stark”と結婚しました。
同年10月にマリブでクロムハーツ”Chrome Hearts”を創設しました。

意外と知られていませんが、CHROME HEARTSの命名には由来は映画のタイトルからです。
リチャード・スタークの友人が監督するB級ホラー映画の衣装を担当してからのことなのです。

その映画の初期タイトルが「CHROME HEARTS」なのです。
結果としてそのタイトルとして世には出なかったものの、彼はその言葉をとても気に入り自身のブランドに”クロムハーツ”というブランド名を付けたのです。
※衣装が気になる方は「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」(実タイトル)をご覧ください。

”Chrome don’t get you home” ”バイクをピカピカにしていたって、よく走るわけではない”バイク乗りたちの言葉で、乗り出しのビギナーをからかうフレーズをもじり、

”CHROME HEARTS will get you somewhere that makes you feel like you’re home”
”CHROME HEARTSは自分が自分だと思える場所まで連れて行ってくれる”

というワードをキャッチフレーズにしたのです。

妻ローリー・リン・スターク”Laurielynn Stark”

マリブ生まれ。スタイリストやアートディレクターを経て、夫リチャード・スタークとの出会いを機にクロムハーツを創設。
現在も共同経営者&デザイナーである夫とともにブランドのクリエイション全般を指揮する一方でフォトグラファーとしても活躍。クロムハーツの広告ビジュアルもすべて彼女が手がけている。
幼い頃からの遊び仲間だった友人たちには、俳優のロブ・ロウや元ガンズ・アンド・ローゼズのベーシスト、ダフ・マッケイガンなど、華やかな顔ぶれが並ぶ。
クロムハーツから登場した女優ケイト・ハドソンとのコラボライ「CH+ KH」では、デザイナーとしてフェミニンで艶やかなジュエリー・コレクションを発表し、ブランドの新しい一面を引き出すことに成功した。
来日は10 回以上で、神社仏閣を観て歩くことを好む親日派でもある。

スタンリー・ゲス”Stanley Guess”

シルバーアクセサリー界で絶大なる経歴と名声を持ち、称賛し続けられるスタンリー・ゲス”Stanley Guess”。そんな彼はカリフォルニアにある小さな牧場で生まれました。
幼少期からすでにクラフトスクールに通い始め、9歳になるころにはレザー財布やシルバーアクセサリーを作り始めていました。
そのころから”神童”と騒がれていたスターリング・ゲスも青年になり1978年から本格的にシルバー製作をはじめ、当時まだ名もなきシルバーアクセサリーブランドに過ぎなかったクロムハーツが彼の腕を見込んでシルバーアクセサリーの鋳型作製を依頼しました。鋳型作製を頼んで以降、クロムハーツはいっそう彼の腕に魅了されさまざまな依頼を出し続け、そのたびに彼はクロムハーツが想像する以上の魅力ある商品デザインを提供してきました。

特に現在でもクロムハーツの主力商品である”IDブレスレット”は最初、スタンリー・ゲスが自分用に作ったブレスレットでしたがクロムハーツに見せるとそのクオリティーの高さ、機能の素晴らしさから大きな称賛を受け、商品となったりとの逸話もあるほどです。

スタンリー・ゲスはその後も、クロムハーツにさまざまなデザインを提供し、成長を支え続けました。ついにはだれもが知るシルバーアクセサリー界のTOPに押し上げましたが2000年に彼はクロムハーツのデザインから離れ、自身のブランドの”スタンリーゲス”を設立するに至りました。

日本でのクロムの歴史

1988年リチャード・スターク、ジョン・バウマン、レナード・カムホートの3人によって設立される。
1990年日本国内においてインテレクチュアルギャラリーが取り扱いを開始。日本初の正規取扱店となる。
1991年コム・デ・ギャルソン青山が取り扱いを開始。
1992年ユナイテッドアローズが取り扱いを開始。
1994年ハリウッドに本社を移転。
1995年レナード・カムホートが脱退。
1996年直営ショップ第1号となる「CHROME HEARTS N.Y.C」がニューヨークにてオープン。
1999年直営店第2号となる「CHROME HEARTS TOKYO」が南青山にてオープン。
2000年直営店第3号となる「CHROME HEARTS L.A」がロサンゼルスにてオープン。
2001年~
2011年
日本国内アジア圏に続々とCHROME HEARTSがオープン。
2012年インテレクチュアルギャラリーがクロムハーツの取扱いを終了。
2016年9月末日のライセンス契約期間満了とともに、クロムハーツ事業に関する権利義務を新会社に承継。
2016年~
2024年
複数回に分けて権利義務をCH Holding Companyに譲渡。2024年12月までに完全譲渡予定。

 

まとめ

いかがでしたか?
前編では創立前からさまざまなきっかけと人物との出会いが今のクロムハーツを生成していることがわかる記事になりました。
よりクロムハーツの歴史を知ると見えない奥深さが見えてくると思います!