天才デザイナー”エディスリマン” 『Hedi Slimane』の歴史 なぜ天才?

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天才デザイナー『Hedi Slimane』の歴史〜誕生編〜

今日は”Dior Homme” “Saint Laurent Paris” “Celine”などで数々の革命を起こした天才

Hedi Slimane”(エディスリマン )について書いていきます。

 

Hedi Slimaneについて

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名前          Hedi Slimane エディスリマン

出身          フランス

生年月日  1968/7/5

 

エディスリマンの生い立ち

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ディスリマンは1968年7月5日のパリ19区でチュニジア人の父親とイタリア人の母親の間に生まれました。

彼はかなりの秀才で頭が良く国際標準教育分類ではレベル6と世界的に見てもかなり難易度の高い高等職業教育機関”Grandes Écoles”(グランゼコール)という名門校を卒業しその後”Ecole du Louvre”(ルーブル美術学校)で美術と美術史を学びました。

彼は11歳ですでに写真に興味を持ち、カメラを手にしたそうです。

エディスリマンの美術的センスは”Ecole du Louvre”(ルーブル美術学校)での環境が影響を与えており、美術に精通したエディスリマンは10代の頃から、服作りを始めました。

しかし、この服作りは自分の為で、自分の体系にあう理想的な服がフランスにはなかった為、自身で作ることを思いついたそうです。

つまりエディスリマンは服飾に関する教育は一切受けてないのです。

あの天才“Raf Simons”(ラフシモンズ )と同じですね!

彼は自分のために服作りを始めこの信念はのちに”Dior Homme”(ディオールオム)を去り、”Saint Laurent Paris”(サンローラン)のデザインを担当していた時も現在の”Celine”(セリーヌ)でも全くブレのないデザインと世界観から分かります。

エディスリマンは、10代の頃からタイトなテーラードジャケットにスキニーパンツを合わせるアイコニックなスタイルは完成していたそうです。

 

ファッション業界でのキャリアスタート

 

エディスリマンのファッション業界でのキャリアのスタートは1992年”Jose Levy”(ジョゼレヴィ)でファッションディレクターとして2年間勤めました。

その後、ファッションコンサルタントの重鎮であり””UNIQLO”(ユニクロ)”HERMES”(エルメス )などを顧客につ”Jean Jacques Picart”(ジャンジャックピカール)のアシスタントを1994年から1997年までの3年間務めます。

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“Jean Jacques Picart”(ジャンジャックピカール)は様々なクリエイターやデザイナーを開花させてきた方で、エディスリマンの他にも自身のブランドを手がける”Jil Sander”(ジルサンダー)や”Christian Lacroix”(クリスチャンラクロワ)も彼の元にいたのです。

エディスリマンとジャンジャックピカールの出会いは大きく、ここでテーラリングの基礎を彼に叩きこまれました。

 

革命スタート”Yve Saint Laurent”へ:1997年

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エディは積み重ねた才能が認められ1997年に”Yves Saint Laurent rive gauche”(イヴサンローランリヴゴーシュ)のアーティスティックディレクターに指名されました。

“Yves Saint Laurent rive gauche”(イヴサンローランリヴゴーシュ)は1966年に”Yves Saint Laurent”(イヴサンローラン)のプレタポルテ(既製服)のラインです。

ほとんど無名だったエディスリマンをイヴサンローランの共同創業者である”Pierre Berge”(ピエールベルジェ)が目を付けました。

 

その後彼は2000 F/Wのコレクションで注目を集めました。

エディスリマンは”GUCCI”(グッチ)がサンローラン買収をしたことによってサンローラングループを去ることになりますがここから彼の天才と評価されるステージへ上がることになります。

 

“Christian Dior”でのメンズライン”Dior Homme”:2001年

 

2001年”Christian Dior”(クリスチャンディオール)は”Christian Dior MONSIEUR”(ディオール・ムッシュ)に変わるメンズラインの構築、”Dior Homme”(ディオールオム)の立ち上げを計画していました。

エディはそのメンズライン”Dior Homme”(ディオールオム)のアーティスティックデザイナーに就任することになりました。

エディのディレクター就任とともにスタートした”Dior Homme”(ディオールオム)は、その唯一無二のスタイルとデザイン性の高さでカルト的人気を誇ることとなる。

余談ですがあのCHANELの伝説的デザイナーの”Karl Lagerfeld”(カール・ラガーフェルド)が、ディオール オムのタイトなスーツを着るためにダイエットを行ったことはかなり有名な話です。笑


 

彼が作り上げた独自のパンクさ、スキニーパンツやタイトジャケットは当時のファッションではトレンドでもなく斬新なものでした。これこそ彼が自ら服作りを始めた原点であり今もブレていません。その後、約7年が経ち”Dior Homme”(ディオールオム)を退任することとなります。

エディスリマンなき、ディオールオムを不安視する声は増える一方でした。

エディスリマンの後任として指名されたのは彼に認められた才気溢れるデザイナーの”KRISVANASSCHE”(クリスヴァンアッシュ)でしたね。

引退後のエディはしばらくモード業界空姿を消しましたが突然姿を現すことになります。それが。。。

 

“Christian Dior”でのメンズライン”Dior Homme”:2001年

エディはなんと2012年に”Saint Laurent”(サンローラン)のクリエイティブディレクターに就任し、モード界に舞い戻ってきました。

就任に合わせ、エディはさまざまなブランド改革を実施しました。

グラフィックデザイナー”Adolphe Mouron Cassandre”(アドルフムーロンカッサンドル)による”YSL”のロゴイメージが強かった”Yves Saint Laurent”(イヴサンローラン)を”SAINT LAURENT(サンローラン)に改名しました。

このロゴ変更はファッション業界でも大きな話題になりました。老舗ブランドのロゴ改革を行えるほどのカリスマであったことは間違い無いでしょう。

ラグジュアリーブランド界におけるサンローランの地位を築き上げました。まさに”エディ”。数々の名作を生み出しました。

そんな大改革を施したサンローランから2016年、エディは多くの人に惜しまれながらサンローランから去りました。

 

“CELINE”でメンズラインも手がける:2018年

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そしてまたも伝説の彼がクリエイティブディレクターとして就任した”CELINE”(セリーヌ)のショーが行われたました。

“あのエディが戻ってきた”などと注目を集めていたショーなだけに、どのブランドでも”エディ節”炸裂というのは業界関係者たちからの評価はさまざまでした。CELINEというよりエディ。みたいな笑

しかし彼は老舗ブランドの大胆な改革を行いながら、確実に売り上げも伸ばしてきた実績があるデザイナーです。常にテイストを変えずにトレンドを牽引するデザイナーエディスリマンが手掛ける服は常にチェックしていきたいものですね!