コムデギャルソン誕生編 デザイナー『川久保玲』の歴史 “COMME des GARÇONS” 日本ファッション界の革命児

川久保玲_コムデギャルソンCOMME des GARÇONS コムデギャルソン

日本ファッション業界の革命児川久保玲』の歴史 “COMME des GARÇONS“ 

日本のファッション業界を牽引してきた”COMME des GARÇONS“(コムデギャルソン)のデザイナー”川久保玲”

もちろん皆さんブランドは知っていると思いますが1980年代から業界を切り開いてきた彼女の歴史とブランドの歴史を勉強しましょう。

 

川久保玲について

川久保玲_コムデギャルソン

名前          川久保 玲 (かわくぼ れい)

出身          東京都港区南青山

生年月日  1942/10/11

 

生い立ち

彼女の母親は英語教師、父親は慶応義塾大学の職員で、3人兄妹の長女で唯一の女の子でした。

父の影響もあり1960年に彼女は慶応義塾大学文学部哲学科に入学します。

大学卒業後は株式会社旭化成宣伝部に入社し社会人キャリアをスタートしますが3年で退職します。

退職後はフリーのスタイリストとして活動をし始めます。

広告写真撮影の仕事の際、イメージに合う服を見つけることができず自ら作り始めたことが服作りのきっかけになります。

それからはスタイリストでありながらデザイン、パターン、縫製、仕上げなどを独学で学び服作りと仕事が結びつくようになります。

 

 

自身のブランド”COMME des GARÇONS“設立:1969年

comme-des-garcons

スタイリング業の一環としてスタートさせた服作りでしたが、次第に川久保の手掛けるウェアの問い合わせが多くなり、ブランド立ち上げに踏み切り、1969年、彼女自身のブランド”COMME des GARÇONS”(コムデギャルソン)を立ち上げました。

COMME des GARÇONS”はフランス語で”少年のように”の意味です。

プレタポルテ、婦人服の製造販売がスタートし、1973年には株式会社コムデギャルソンを設立しました。

 

 

東京コレクション:1973年

川久保玲_コムデギャルソン

1975年に東京コレクションに初参加。

原宿のパレフランスで行われたファーストコレクションは大好評で、同年、 フラッグシップショップを青山にオープンさせます。

 

 

初パリコレクション:1981年

川久保玲_コムデギャルソン

1981年初のパリコレ参加となり当時身体のラインを強調するウェアが主流のパリで、身体のラインを隠したノンセクシャルなウェアを発表し物議を醸しだします。

ボロ布のようだ揶揄されたが、そのアバンギャルドな服作りは、パリのファッション界とモードファッションに大きな衝撃を与えた。

 

パリコレクション”伝説の黒服”:1982年

黒の衝撃_コムデギャルソン

このコレクションは日本のブランド”Yohji Yamamoto”と共にパリ、オートクチュール、世界のモード界を震撼させる衝撃のコレクションとなった。

それまでパリコレでは黒メインのコレクションはタブーとされていた。

特に当時のファッションはきらびやかな服が流行っていたにもかかわらず黒い穴あきニット(Hole Sweater)をコレクションに組み込み時代に合わない前衛的なデザインと黒の色使いは”黒の衝撃”と呼称された。

世界中のファッションジャーナリストが否定派と賛成派に分かれ評価しました。

パリコレクション後、日本でも賛否両論は続き大きな議論を生みましたがファッション業界では川久保のトレードマークでもある、”全身黒にボブヘアはモードスタイルの代表”とされ”カラス族””ぼろルック”として流行した。

 

 

“COMME des GARÇONS HOMME PLUS“設立:1984年

川久保玲_コムデギャルソンオムプリュス

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2018A/W”白が示唆する反骨精神”

 

メンズライン”COMME des GARÇONS HOMME”(コムデギャルソン オム )は1978年に立ち上げられていました。

しかし1984年、川久保がモードの冒険をメンズウェアのなかで”COMME des GARÇONS HOMME PLUS”(コムデギャルソン オム プリュス )が立ち上がりました。

プリュスとはフランス語で”最上位”の意味を持つ、コムデギャルソンのハイエンドラインになります。

メンズの基本を押さえながら既存のものにとらわれない遊び心にあふれたデザインが特徴です。

”男でも女でもない”ジェンダーレスをテーマに男性服においても川久保らしい既成概念にとらわれない男性服から”男”を取り除きました。

当時のメンズファッションではパワーショルダーに細いウエストシルエットが主流であった。

しかし川久保玲はゆるやかなシルエットの男性服を提案しまし、その姿はファッションジャーナリストたちから高く評価されました。

以降、メンズウェアの基本を崩すことなく、その枠組みを超えた新しいスタイルを提案すると、他のハイブランドからもフリルや大胆な花柄、スカートなども取り入れたメンズコレクションが発表されるようになりました。

オーセンティックなメンズウェアにアヴァンギャルドな要素がプラスされている、プリュスのワードローブは、ラグジュアリーでありつつノスタルジーを感じることができます

 

まとめ

彼女はデザイナーとして多彩すぎて全てを説明するのはかなりの長文になってしまいますのでこの辺にしておきますが、

1980年代から世界のモードファッションに影響を与えた日本が誇る天才デザイナーの一人です。

“黒の衝撃”はタブーであったパリコレでの黒メインのコレクションに引き裂かれたようなニット。

“ぼろルック”と呼ばれ時代に合わない前衛的でありながら反骨精神のあるコレクションはムーブメントを起こし、”カラス族”などの言葉を日本で作ってしまうほどです。

その証拠にモードと聞くと黒い服をイメージしてしまいませんか?

実はモードはわかりやすくいうと最新のファッションみたいな意味です。(諸説有り)

しかし”Yohji Yamomato”を含める”黒の衝撃”は我々が今でもモードと聞くと黒い服をイメージしてしまうくらい根強く頭の中に残る当時の最新さと反骨精神があったのでしょう。

 

ギャルソンはまだまだ”COMME des GARÇONS HOMME DEUX”(コムデギャルソン オム ドゥ)や”COMME des GARÇONS SHIRT”(コムデギャルソン オム シャツ)などのラインが多く存在します。

ぜひ日本の誇り”COMME des GARÇONS”をあまり見たことがなかった方はコレクションなども見てみてください。